この記事では、英語を学びながらアインシュタインの功績や彼の生涯についても詳しくなる一冊「The Albert Einstein Story (アインシュタイン・ストーリー)」について紹介します。
「伝記」や「アインシュタイン」と聞くと難しそうと感じる方もいるかもしれません。
私もその一人でしたが、実際読んでみると大きくイメージが変わりましたので是非多くの方にこの一冊を知っていただきたいです。
この記事を読むことで、「アインシュタイン・ストーリー」がどんな内容の本なのか、本の難易度を知ることができます。
また、一部ネタバレを含みますが、この記事を最後まで読むことでアインシュタインについても少し詳しくなれますので、ぜひ最後まで目を通してみて下さい!
「アインシュタイン・ストーリー」ってどんな本?
ページ数:約80ページ(巻末のワードリストは除く)
私はこの本を読むまで、アインシュタインは天才で「相対性理論」を提唱した人程度の知識しかありませんでした。しかしかし、この本を読むことで、アインシュタインの功績や、現在私たちの身の回りで彼の理論がどういったものに応用されているのかを知ることができました。
相対性理論については、日本語で簡単に解説されているものを過去に何度か読んだことがありますが、何を言っているのか理解できたことがありませんでした。しかし、この本は非常に簡単な英単語を使って、例えを交えながら説明されているので、Wikipediaなどに書かれている日本語での説明を読むよりも相対性理論についてよくイメージできました。
「アインシュタイン・ストーリー」の難易度は?
「アインシュタイン・ストーリー」はIBCパブリッシング社から発行されているラダーシリーズのLevel 1 (目安:TOEIC 300-400点、英検4級) の一冊です。「ラダーシリーズ」について知りたい方はこちらの記事もご覧ください。
この本には下記のような単語が出てきます。私は理系英語を見慣れているので、この本はラダーシリーズのレベル1の中でも簡単に感じましたが、人によってはLevel 1の中では難しいと感じる一冊かもしれません。
「アインシュタイン・ストーリー」のレビュー(ネタバレ含む)
ここからは、「アインシュタイン・ストーリー」の内容について一部紹介していきます。
アインシュタインの子供時代
アインシュタインは2歳まで話さなかったので両親にとても心配されていました。アインシュタインは10歳まで話すことは得意ではなかったようです。
アインシュタインは子供の頃から音楽が好きで何時間もバイオリンを練習していました。特にモーツァルトが好きだったそうです。
好きなおもちゃは父親からもらった方位磁石で、針がいつも同じ方角を指すこと見て、この世には目には見えない力があることを学びます。このような経験から、彼はいつも磁場の存在を中心に科学を考えるようになります。
アインシュタインの奇跡の年
1905年は「アインシュタインの奇跡の年」と言われています。アインシュタインはこの年に歴史に残る重要な4つの論文を次々と発表しました。
しかし、この時なんとアインシュタインは特許局員として働いており、科学に携わる仕事にはまだ就けていませんでした。この時アインシュタインは26歳で、特許局員の仕事の片手間にこれらの論文を書きました。
アインシュタインの結婚生活
アインシュタインはミュージシャンとしてレディースクラブでよくバイオリンを弾いていました。
そこで、後に結婚相手となるミレーバ・マリッチと出会います。ミレーバは当時の女性には珍しく、学校で数学や物理を習っている女性でした。
2人は双方の両親に反対されながらも結婚し、2人の子供をもうけます。しかし、アインシュタインはいとこのエルザとも良い仲になっていきます。
その後、アインシュタインの仕事の関係でスイスからドイツに移住するときにアインシュタインとミレーバは大喧嘩になり、2人は離婚してしまいます。
当時アインシュタインにはお金がなく、ミレーバに慰謝料が払えなかったので、ノーベル賞を取ったら支払う約束をします。その数年後にアインシュタインは実際にノーベル賞を受賞し、ミレーバとの約束を果たします。
戦時中のアインシュタイン
アインシュタインが35歳ぐらいの頃に第一次世界大戦が勃発します。
アインシュタインは平和主義者で、科学は平和のために使うもので、化学兵器など人を傷つけることを目的に利用することには反対でした。
当時、平和主義であることを公表することは今よりずっと勇気がいることでしたが、第一次世界大戦が終わってからもアインシュタインは平和活動を続けます。
しかし、その後もドイツのナチス政権はひどくなる一方で、平和主義者だったアインシュタインは徐々に戦争に対する考えを変えるようになります。
アインシュタインはドイツからアメリカに移住しましたが、ナチス政権はアインシュタインを敵とみなし、殺した人に5000ドルの賞金をかけます。
こんなナチス政権を見て、ドイツは非常に危険なので攻撃するより他ないとアインシュタインは考えるようになります。
アインシュタインは原子爆弾には詳しくありませんでしたが、他の科学者に教えてもらい原子爆弾の威力を知り、当時のアメリカ大統領ルーズベルトに原子爆弾の必要性について手紙を書きます。
アインシュタイン自身はドイツ人のためアメリカの原子爆弾の開発には携わりませんでしたが、当時世界的に有名な科学者であったアインシュタインからの手紙がなければ、アメリカが原子爆弾を開発に力を入れたかどうかは今や誰にも分かりません。
しかし、アインシュタインは日本に原子爆弾が落とされたのを見て非常に後悔し、その後は原子爆弾の危険性を訴え、平和活動にもますます尽力するようになったそうです。
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